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週報
Weekly Report

公開日:2023/2/21  内容:第2886回(2023/2/14 )レポート

例会予定

**第2887回例会のスケジュール**
2/28(火)卓話 講師:小野打 泰子様 演題:「入間基地の現状について」 会場:ベルヴィ ザ・グラン

**次回以降のスケジュール**
3/7(火)卓話 講師:三遊亭 究斗様 演題:「落語家修行で学ぶ商売繁盛」 会場:ベルヴィ ザ・グラン
3/14(火)卓話 講師:未定 演題:「未定」 会場:所沢商工会議所 会議室
3/21(火)定款の規定により休会
3/28(火)花見例会 場所:KADOKAWA SACULA DINER

会長の時間

三上 誠 会長

皆さんこんにちは。
本日は少し残念だなと思うことがありました。ホワイトボードの欠席者の人数が多いので出席率が低いのではないかと心配です。
先週は76%と今期一番の出席率ではないかと聞きました。卓話の講師の方でこんなにも変わるのかなとプログラム委員長には感謝です。

私は通勤途中TVを車で流しニュースをよく聞いてます。
最近はテレビ朝日をよく見るのですが本日はこんなことをニュースにしていました。
中国人の2名の若い女性が沖縄の「屋那覇(やなは)島」を購入し中国の領土として主張をし始めていると。実はこれは以前先週お話いたしました工業団地拡張の件で公安が見えられお聞きした話ですが同様の事例が多くなってきてるそうです。
まさに埼玉県南部から西部にかけて1000㎡~10,000㎡の土地を探しリサイクル業として土地を求めてるそうです。目的は首都東京の監視をしたいためではないかとお聞きしました。
屋那覇島の近くには沖縄の重要基地があるため国が他国の方には変えないようにする法律整備を進めてるそうです。
我々製造業が中国で工場をつくる場合土地は借地で売ってもらえませんし設備機械は自社の固定資産へ上げますが日本へ戻るときは中国において除却又は貸与しなければなりません。それほど他国の土地を購入することは難しい事なんですが日本は甘いのでしょうか?
米中の中が過激に報道されてますが自国のみの権利、主張をするのではなくお互いをリスペクトして「イマジン」し平和な世界にしていただきたいものです。

本日早朝の気温が3度でしたが会場に来る前の気温も4度と日中気温が上がりませんので皆さんお体に気を付けてください。コロナ8波は少し落ち着いたと思うのですがわが社ではまたコロナ感染が増えてきましたのでこちらもお気をつけください。

幹事報告

淺海 剛次幹事

はい皆さん、こんにちは幹事報告をさせていただきます。

【例会の予定】
本日第2例会はイニシエーションスピーチということで、後ほど丸山会員、それから清水会員にお願いしたいと思います。
来週は定款の規定により休会となります。お間違いのないようにお願いいたします。
再来週ですね28日火曜日は、第3例会こちら通常例会となります。

【花見例会のご報告】
今、花見例会の打ち合わせをしていまして、KADOKAWAのサクラダイナーというところのレストランで行う予定です。28日にご案内等を親睦委員会からご案内させていただきたいと思います。よろしくお願いします。


【新入会員のご報告】
過日に、新入会員の2名の方。NTTの和田さん、それから、野本さんこちらの方は正式にあの承認されました。また入会式の手配等これから決めていきます。よろしくお願いしたいと思います。


【ウクライナ復興支援金について】
ウクライナ復興支援金について、先日理事会で承認されましたけれども、一応12万円ということで、先週事務局の方から振込を完了しております。
話はまだ出てきていないのですが、トルコで地震があったと思ういます。
こちらの方も、もしかしたら、その支援金というかそちらの方が話が出てくるかもしれません。その際にはよろしくお願いいたします。

委員会報告

親睦活動委員会
井関 克行委員長

皆さん、こんにちは。
親睦委員長の井関でございます。先ほど、淺海幹事からお話ありましたけれども、3月28日の火曜日でございます。花見例会を企画させていただいております。
場所は、角川さんで行う予定でございます。時期的に東川沿いの桜が綺麗に咲いてる頃だと思います。行かれた方多いかと思いますけれども、おいしい料理と親睦を今考えてるところでございます。詳細を追ってご案内させていただきますので、3月28日の火曜日18時開会という予定でございますので、皆様ご都合をお入れていただければ幸いでございます。以上でございます

道口 泰己副幹事

皆様の手元にチョコレートがあると思いますけども、鳥居さん、矢部さん、柳さん、女性会員の皆様より、今日は バレンタインということで皆さんにいただきました。
皆様、大きな拍手をよろしくお願いいたします。

『ロータリーの友』2月号の紹介

広報雑誌委員会
鈴木 崇文さん

皆さん、こんにちはと広報雑誌委員会からですね。ロータリーの友要2月号の紹介をさせていただきます

【横組み】
5ページ…今回もジェニファ・ジョーンズロータリー会長のコメントという形で出ております。
まず初めが、女児のエンパワメントは、公平性以上のことを作り出すということで、先日、ウガンダーのナキバレ難民居住地に滞在しました。というところのですね。その中身を少し読ませていただきますと、女児の教育に関する厳しい現実を教えてくれました。と、ほとんどの女児は、小学校を卒業しないまま、家計を助けるために結婚させられます。そのような女児を見て、暗たんたる思いになりました。と、私たちは女児と女性のエンパワメントのためにもっとできることがあります。そして、ロータリーの会員とパートナーが目標に向けて、どのように歩んできたのか、もっと情報発信をしていくべきです。という内容で、取り組みの内容が書かれております。最後のところに、今やロータリーは大躍進の時代を迎えており、世界中で注目されています。女児や女性のポテンシャルが最大限に発揮できるよう、ロータリー活動をしていけば、私たちロータリーはポジティブで持続的な変化を生み出すための会員増強と強力なパートナーシップへ、新しい道筋を切り開くことができます。大事な取り組みのために、引き続きご協力をお願いしますという内容でコメントが出ております。

6ページ…2月23日は、ロータリーの創立記念日ということで、1905年2月23日ロータリーの創始者、ポールハリスが友人3人と初めて会合を開いた日です。ということで、ロータリは天皇誕生日と同じ日が創立記念日という形になります。その隣は、毎回出てる内容になりますが「ロータリーとは」ということで、ロータリーの誕生とその成長でしたが、日本のロータリーの内容が出ておりますので、ご確認いただければと思います。

8ページ…ロータリーの友、創刊70周年特別企画ということで、こちらのAFP通信フォトグラファー、千葉さんという方の「1枚の写真を前に人々は何を感じ考えるのか」ということで、写真と感じていることが書いてありますと。8ページから9ページにかけては、スーダンの民主化デモの写真とコメントが出ております。10ページにはウクライナの女性兵士の写真がとともに、報道写真家の仕事の内容が書かれております。12ページには、ウクライナ戦争の中で、息子の死という写真という、写真家の目を通した内容になっております。14ページには反政府軍兵士と市民ということで、こちらはエチオピアの内戦の記事になっております。その中で報道規制であったりですね、報じられない側面なんかも取り上げてるという内容になっております。16ページの写真はかなり、ショッキングな写真かなと思うんですが、やけどを負った少女ということで、こちらもエチオピアの内戦の記事になっております。中には、社会における報道の役割であったり、自分が期待した状況でなくても、正直に取材現場を伝える、それが報道。というようなことの内容になっております。18ページは、ルワンダの虐殺の話になっておりまして、四半世紀ぶりの弔とてことでジャーナリズム再考という記事が出ています。今は誰でも情報を直接発信できる時代、個人もフェイクニュースなどうのみにしないためにも、メディアリテラシー、デジタルセキュリティなどを学ぶ機会が必要が今後ますます増えていくでしょうというような内容になっております。

22ページ…END POLIO NOWということで、先月のロータリーの友にひき続き出ております。1番上が、お隣の南東地区の記事になっておりまして写真とともに、1920年から76年に生産された国内外の名車が埼玉県内を巡る。第2回ポリオ根絶チャリティクラシックカーラリーを開催ということで載っています。お隣の地区ではこのようなことをやっているということです。その他の地区でもこのようなことをやっておりますというのが出ておりますので、まご確認いただければと思います。

24ページ…視点というところで、ガバナロータリーのモメントということで、各地区のガバナーの方のコメントになっております。

27ページ…2570地区、埼玉西北の村田ガバナーの記事が出ております。親睦から奉仕、その先に感動がある。ということの内容になっております。中身のところは確認いただければと思います。

28ページ…米山奨学会の話が出ております。バングラディッシュの方が、秋田のロータリーの方に来ておりまして、現在は秋田大学の准教授で働かれてるというようなことになっております。ロータリーは様々なですねサポートをしている、というような内容になっております。

30ページ…ちょっと細菌、発酵食品というテーマで記事が載っています。中身的に面白い記事ですので読んでいただければと思います。味噌とか醤油の発酵食品の内容などが書いてあります。ぜひ、読んでみてください。

【縦組み】
4ページ…ニ本松ロータリークラブの60周年記念公演ということでと、セブン銀行特別顧問、東洋大学理事長の安齋隆さんという方の記事になっております。
生まれは宿命そのもの。という題目です。瀬戸内寂聴さんのエッセーから入りまして、人生とは出会いである人との出会い、風景との出会い、動物との出会い、どの出会いも私の栄養となり、心身を育んでくれた中でも人との出会いこそ、私の生きる証であるというな内容があります。最後のところで人生における人との出会いには宿命的なもの、それから自分の選択で出会うもの、2つがあると私は思っています。ということで、この方の、経歴のところが入っておりました。日銀出身ということでですね。今、話題になっておりますが、日銀のこんなことやってますよ。とかですね、その後のやってきた業績なども書かれております。8ページの最後のところに、宿命の出会い、選択した出会い、人生には2つの出会いがあると初めにお話しました。ロータリークラブの仲間たちとの出会いは、選択した出会いなのか、宿命の出会いなのかお考えになられると面白いと思います。出会いの中から、皆さんは、何を得られたのでしょうか。という問いかけがなされておりますので、ぜひ、こういったとこも考えていただきたいという内容でございます。

22ページ…今月もアットワークということで、各ロータリーの取り組みのところが記事として出ております。埼玉県の東松山ロータリークラブ、児童養護施設に自転車を寄贈という内容であったりですね。大宮ロータリークラブは、eースポーツで青少年育成ということで各地のロータリーが色々な取り組みを行っているという内容になっております。参考にしていただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

以上です、ありがとうございます

スマイルボックス

スマイルボックス委員会
篠宮 克彦 委員長

三上年度:358,201円

皆さんこんにちは。
スマイルボックス委員会から報告をいたします。

三上 誠会長 淺海 剛次幹事
女性会員の皆様、バレンタインのチョコレートありがとうございました。

井関 克行さん
本日業務都合により申し訳ありませんが、早退させていただきます。

篠宮 克彦さん
本日所要により早退をさせていただきます。

出席報告

出席向上委員会
市川 雅巳委員長

例会    総数  出席       欠席   %
2886回  59名  32名(Zoom 2名)  27名  59.26%

イニシエーションスピーチ

丸山茂幸さん

皆さん、こんにちは

私は丸山茂幸と申します。

昭和51年の8月31日所沢市で生まれました。名前の由来なんですけど、僕生まれて3日目ぐらいに、母乳を吐き出したらしくて、医者にかかるにもななしのごんべじゃかわそうだというので、急遽茂幸とつけられました。茂というのは父親が野球が大好きで、長嶋茂雄の大ファンだったのでそこから。父親が幸雄と言いまして、1つずつ取って茂幸という風になりました。私には姉が7つ上にいましてゆきえ。幸せの枝と書きますで、妹が8つ下にいまして、みゆきと言って美しい幸せと書きます。うちの兄弟はみんな幸せがついております。三ヶ島小学校に入学しまして、父親の影響で、幼稚園の時からキャッチボールとかをやっていたんですけど、三ヶ島小学校の野球のチームは、僕らの時は小学校3年生からしか入れなくて、どうしてもちょっと僕体が動かしたくて、小学校2年生からできるサッカーを始めました。3年生になったら野球に行こうかななんて思ってたんですけど、父親にそこで「お前、男は1度始めたものは最後まで続けろ」怒られたので、サッカーをずっとやっております。今フットサルとかありますけど、11人制のサッカーは33歳までやってました。

 そのまま中学校に入り、部活動はやっぱりサッカー部です。自分では全然うまくないと思ってるんですけど、なぜか中学校3年生の最後の大会に優秀選手として県内で30人選ばれる優秀選手の中に入りました。「あれ?これはもしかしていいとこ行けるんじゃないか?」なんて思って、高校もサッカーのチームで決めようと思って、セレクションとか当時あんまりなかったんですが受けました。僕はその頃喘息持ちで、何かいいチャンスがあると必ず喘息にかかるっていう。なぜか知らないけれどそういうふうになるとこがありまして、そのセレクションの日、やっぱり喘息で全く走れず、結局落ちました。

 結局県立のまあそこそこの学校に行きまして、そこも入ってすぐ部員が110人近くいたんですけど、その中の、30人のAチームに入ることができて、「あれ?これ、もしかしてまた行けるんじゃないかな?」なんて思ってたら、やっぱり上には上がいるもので、小学校、中学校と全国大会出てるやつがいまして、そいつのプレーを見た瞬間に「あ、もうプロは無理だ」と思って、仕事何しようかななんて高校3年間考えていました。夏休みのちょっとした期間に父親の仕事をアルバイトで行かしていただきまして、その時に、父親が型枠大工をやってて、その仕事の手伝いをさせてもらってる時に、これ面白いなと思いまして、高校卒業後、そのまま建築の専門学校に進みました。修行しなくちゃいけないだろうなと思って、5年後ぐらいに、自分の会社に戻れればいいかななんて思ってたんですけど、専門学校卒業する直前の2月、別に僕が悪いことしたわけじゃないんですけど、内定がなくなりました。会社の都合でなんですけど。その時に、ピザのデリバリーのアルバイトを都内の方でやってまして、その日もちょうどアルバイトでバイト先に「就職なくなっちゃった」って言ったら、「じゃあ、お前うちで働けって」という風になったんですけど、せっかく2年間建築の専門学校で学んだことが無駄になってしまうなと思い、父親に相談して、そのまま4月から今の有限会社、丸山工務店の方に勤めさせていただいてます。

 そのピザのデリバリーのアルバイトしてる時に、ちょっと運命的な出会いがありました。それが、今、僕の趣味であるラーメンの食べ歩きです。アルバイト先の先輩が夜中に「おい、まるラーメン食いに行くぞ」っていう感じで、当時流行ってた環七のなんでんかんでんとか、そういうところに連れていかれて、これ面白いなと思って、それから食べ歩きが始まりました。今も現場仕事をずっとしていてロータリーの方にも出席全然できてないんですけど、楽しみはやっぱり昼のラーメンです。僕の1番大好きな店は、青森県にある長尾中華そばという所なんですけど、その長尾さんとの出会いも、僕の大工の親方が青森の方で、若くして亡くなりまして、そのお通夜に行った時に食べたのがきっかけで好きになりました。東京の神田(小川町)にもあるので、もしよかったら食べてみてください。でですね、29歳の時に学校行っていました。証みたいのがやっぱり欲しいなと思って、二級建築士を取りました。その時に付き合っていた今のカミさんの父親が一級建築士で、「お父さん二級取りました。」って言ったら、「次は一級だね」って言われました。その一級も受験はしました。学科は合格したんですけど、これ悪いことに青年会議所に入会と同時ぐらいに製図の試験がありまして、製図は3回とも落ちました。そのため結局まだ取れてません。タイミングが悪かったんですね。その時に全然ちょっと話変わっちゃうんですけど、29歳でその二級を取った時に結婚して、その年の夏にカミさんと2人で海に行って、そん時に頭のことがちょっと気になっちゃって、そこからずっと坊主です。今ここにいる方は多分僕の昔の姿を知らないと思いますけど、昔はロン毛で金髪でした。坊主にしてからも、多分中身は変わらないのでいじり倒してください。

 三上会長の知らない話ですけれども。青年会議所時代にまちづくりの委員長というのをやりまして、その時に「何か日本一取れるもんないかな。」なんてことを考えた時に、文化フェアというお祭りの中で世界最大の紙飛行機っていうのを作りました。その年は飛ぶことができなかったんですけど、翌年、2013年に1枚の紙から作る紙飛行機なんですけど、4m×3mの紙を小学生3人組で作らせて時飛ばすことができました。折った長さで、2メートル12センチの紙飛行機を3人で飛ばさして、見事世界記録達成したのですが、その後抜かれまして、2019年に3回目の奪還で、この2メートル35センチという、これ以上できないだろうっていうぐらいの紙飛行機が、所沢市内の三ヶ島小学校と泉小と明峰小のに飾ってあります。まだ、所沢市内に一応世界記録はあります。三上会長知っておりましたでしょうか?全然話はまとまらないんですが、昼間はあんまり出れる自信はないんですが、なるべく出るようにしますので、今後ともよろしくお願いいたします。以上となります。

清水 源太さん

 皆様改めまして、こんにちは。先ほどご紹介いただきました、昨年度、倉片会長の年度に入会させていただきました。清水源太と申します。本日は伝統と格式ある所沢ロータリーのメンバーとして、皆様の前でお話しさせていただけることをありがたく思っております。

 皆様の前でお話するというのは不慣れではございますが、少しでも楽しい話ができるように頑張らせていただきますので、よろしくお願いいたします。本日は三上会長の知らない世界というところで、お話をしてくださいと伺っておるんですが、おそらく三上会長が知らないであろう話を今から私の紹介の中にちりばめながらお話させていただければ、という風に思っておりますのでよろしくお願いいたします。

 私は所沢市民になってまだ13年ぐらいです。生まれは山梨県の北杜市というところです。昭和56年に生まれてます。私の生まれた次の日に、イギリスの今のチャールズ国王(当時のチャールズ皇太子)とダイアナ妃が結婚した日になっております。私の父は昭和28年生まれ。母は昭和33年生まれです。所沢ロータリー入会させていただき昭和28年生まれの先輩方、それより上のご先輩方、それより下の少し下の先輩方っていらっしゃるんですが、私、若い頃に父親を亡くしておりますので、所沢ロータリークラブに入会させていただき、諸先輩方とお酒を飲ましていただいたり、お話させていただくことはとても楽しくさせていただいております。「父親とお酒を飲む」っていう夢もあったんですけど、私はそれを1度も叶えることができないまま父親が亡くなってますので、このような会で皆様とお酒を飲み、楽しいお話をさせていただくのは、本当に楽しい時間だと思っております。

 私が生まれた山梨県北杜市の話は三上会長知らない部分もあるかもしれないんですで、ちょっと少しお話しさせていただきます。山梨県北杜市というのは山梨県がある中で、北の方に富士山があるとすると、北の方に長野との県境の八ヶ岳という山があります。そこの麓にあるのが八ヶ岳南麓にあるのが北杜市という町です。北杜市という町は、私が生まれた頃は、北駒郡っていう風に呼ばれてた町でした。その中にある高根町という場所が私の生まれ故郷です。北杜市の高根町っていうところは皆さんご存じの人はいらっしゃるかと思うんですが、清里という場所がありまして、とても観光地として別荘地として、私が小学生の頃、バブルの絶頂の頃観光地として別荘地として流行った場所です。それ以外に北杜市の有名なところで言うと、白州町というところがあります。水が綺麗な場所で、白州というサントリーのウイスキーを作られている場所でもます。また、サントリーのおいしい水と言われるとそこの水で作られています。その辺もご存じかわからないですけど、隣の向川町というところには、日本、最古の桜である「神代桜」という桜もあります。こちらも4月になると、観光バスが多く来て、皆さん観光に来る場所でもあります。明野町というところには、標高が高く、日本一日照時間が長い町という風に言われてまして、ひまわり畑で有名です。CMで使われたり、テレビの撮影で使われたり観光名所にもなっております。私のすごく好きなもので、趣味としているワインっていうものがあるんですが、山梨県のあけ野というワインが、中央ブドウ酒造っていう結構美味しいワインをつくっております。グレイスワイナリーっていうところで、そこの社長の娘様が明野に住んで作ってるワイン「グレイスワイン あけの」があります。ぜひ山梨に行って、そのワイン見つけたら、ご購入いただいて飲むと間違いないかという風に思っております。

 私は山梨県のそのような場所で生まれました。標高は私が生まれた場所で700メートルぐらい。高根町という場所は、1番南の標高が大体600メートル、1番高いところで、人が住む中でも1300メートルというような、すごい高低差がある町です。冬は当時は1メートルぐらいの雪が積もるような場所でした。私は、おじいさんの代からやってる自動車修理工場という家庭で生まれて育ったんですが、なんせうまくいってない家庭でして、授業が私が生まれ育った環境っていうのはなんだろうな。八畳二間の平屋の戸建っていうのがよくあると思うんですけど、あれで生まれて育ちました。皆さんちょっと知ってる方いらっしゃると思うんですけど、私は建築の仕事をしていて、家を作る商売なんですけどもなんか、そういったところで育ったから家に憧れがあるというか、いい家を作りたいっていう思いがあって、今のような商売をしてるような気もしております。そんな場所で育ったもんですから、兄弟3人いまして、勝手に親が物置小屋を作るように作った8畳のプレハブ小屋で私と弟と妹が育ってます。

 では、三上さん会長の知らない世界というところで、私、小学校6年生からこう見えてって言ったらおかしいかもしれないですが、小学校6年生から高校3年生の秋ぐらいまでずっと新聞配達をしていました。当時小学校6年生なんで、新聞配達は自転車で配っていました。高校1年生の夏に誕生日が来たので、原付バイクの免許を取ったので、原付バイクでやり始めたんですけども、今お伝えした通り、雪がすごい降る場所で、今でも思い出すのは、雪の中でもかご付きの自転車の前に新聞を入れて、押しながら新聞を配るというようなのを約6年少しずっとやってきました。正直今それをやっていたことが、今の私の生活の中でプラスになってることも多くて、すごく良かったのは当時、給料が、小学校6年生の1か月の給料が1番少なくても3万5000円ぐらいで、高校生になると配れる範囲が多くなったので、1番多くて5万円ぐらいだったんです。まあその中での部活動とか、趣味のことを使ってやってたんですけども、あの当時ボーナスというものも出てました。夏と冬2回、1か月分の給料分がその月は多く出てたんです。やっぱりそういうところでなんか商売を小学生、中学生、高校生をやりながら勉強できたんじゃないかなっていう風にも思ってます。すごい大変だっただろうなっていう風に想像をしていただけるとた嬉しいんですが、正直、私が配ってた時間っていうのは、7時前後でした。新聞が来る時間って、普通に考えれば、5時とかだという風に思ってる方も多いと思うんですが、田舎だと皆さん優しい人っていうか、7時ぐらいに持っていくと、もう待ってる人がいっぱいいて、「ご苦労様です。」って言っていただいて、新聞をも受け取ってくださったことを今でも覚えてます。また、お正月に行くとお年玉をくれたりだとか、お菓子を持って渡してくれたりとか、小さい頃やってた商売としては、すごく良かった商売をしていたんじゃないかなっていう風に思っております。

 私の幼少期というと、幼少期というか、未成年の頃の生活ってのは、新聞配達を中心に月1回休みがあって、新聞配達を中心になんか成り立ってたような生活をしていました。先ほど所沢市民になって、13年ぐらいという風にお話したんですが、実は20歳から建設業の会社に入社しました。最初は山梨の方で3年サラリーマンをしまして、ふとした出会いから、埼玉県の大宮の方にある建設業の会社の社長と知り合ってそちらの方に移動することになりました。30歳まで大宮にある会社でサラリーマンをして、30歳っていう勢いの中で会社を作りました。作ったっていうか、会社を自分で始めようという形で始めました。今ちょうど11期目になります。サラリーマンの時に、テレビ東京のワールドビジネスサテライトっていうニュース番組があるんですが、それのトレたまっていうところで、10何分間特集してもらい、営業成績がとてもよく、それで調子に乗った結果、まだ若かったっということもあって、30歳で会社を起業するという結果になりました。
 私は木造の住宅を作っております。先ほど言ったお伝えした通り、すごい狭い家で、断熱も効かない、家の中に蛇がいる、動物が入ってくるような家で生活してたものですから、とても家に対してはすごく思い入れが多く、仕事をさせていただいております。建設業をやってるんですが、楽しみの趣味の中で楽しんでいるのがカフェを経営しております。お越しいただいているお越しいただいた皆様もいらっしゃるんですけども、私は今41なんですが、30代のころ、結構海外を1人で冒険するというか、色々見て、歩きました。そんな思いの中、作り上げたお店になっております。私、クラシック音楽が趣味の1つでして、初めてモーツァルトとベートーヴェンの曲を聞いてからずっと好きで、今でも年に何回かクラシック音楽をコンサートに行くぐらい好きです。そういった意味で、ヨーロッパをずっと1人で何年間か、10カ国ぐらい歩いたりとかして、あの色々見てきた結果のカフェがあります。ぜひ、私の自己紹介だと思って作ったようなカフェですので、ぜひあの機会があれば遊びに来ていただければという風に思っております。

 いろんなところに、三上会長の知らない世界ってところがあったかとは思うんですが、最後に今、私が活動させていただいてるのが、所沢商工会議所青年部というところで活動させていただいております。所沢商工会議所青年部に入ったのは、今目の前にいらっしゃる日向さんが会長だった時に入会しました。そのおかげで、今ここの会にいられるという風に思っております。そういう意味ではとても縁がある中で、所沢の皆様とこうやってお付き合いさせていただいておりますので、ぜひ今後も、地元ではないですけども、皆様とより深い関係でいければ、という風に思っておりますので、何卒、今後もよろしくお願いいたします。
長くなりましたが、以上となりますよろしくお願いいたします。
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