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  • ロータリーの歴史

    2015年02月23日

    ロータリーの歴史については,国際ロータリーのウエッブページ
    「マイロータリー」には「ロータリーの創設者」などいくつか記事があります。
    それよりも田中毅パストガバナー(尼崎西RC)の[ロータリーの歴史探訪」という著書の方が詳しいと思います。
    田中さんの著書によると最初のロータリーはエゴに満ち、会員相互の取り引きで多くの利益を得てそれで例会を楽しみ親睦をはかるというものだったそうです.
    クラブ名をブースタークラブ(推進、押し上げ)にすることがまず検討されましたが、シカゴ市民の利益やシカゴの商工業の利益を押し上げるつもりはないとして退けられ、会員事業所持ち回りは会員の事業内容をよく理解でき、取引をしやすくするという効果を考えていたようです。(例会の出欠と同時に前回の例会後会員間の取引の報告が義務でした。)
    1業種一人も取引の機会を増やす目的のためとも言えそうです。
    しかし、それでは発展しないとして「社会への奉仕」という考えが導入され、2007年にシカゴに公衆便所を作るという最初の社会奉仕が実施されました。(行政のほか多くの団体を巻き込んで、2年後に土地や建設費を確保して設置)
    ところが奉仕や拡大は親睦を損なうという意見も出て「奉仕か親睦か」という論争になり、最初の危機を迎えたそうです。 
    会長などの役員、名称、規約などがひととおり決まったのは3回目の会合(1905年3月23日)でした。
    現在の感覚では3回目が創立記念日になりそうですが、国際ロータリーは最初の会合の日(1905年2月23日)をロータリーの誕生日としています。
    その頃は隔週に会合を開き、例会での食事や歌もなかったようです。  
    最初のロータリアンはポール・ハリス(弁護士)、ガスターバム・ローア (鉱山技師)、シルベスター・シール(石炭商)とハイラム・ショーレー(洋服生地商。 仕立て屋さん?)の4人です。
    第2回会合(1905年3月9日)から参加したのはハリー・ラグラス(印刷業)らです。
    このラグラスが「ザ・ナショナル・ロータリアン」という雑誌とロータリーの歌集を最初に発行したそうです。  
    ロータリーの危機は別にもありましたが、それは後日ご紹介します。          中井

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